館長の気ままな日記

三河工芸ガラス美術館の館長(オーナー) " カズ " こと神谷一彦の勝手気ままな独り言です。

三河工芸の館長が書く日記です

逝った先輩たち (17) Fリーダー11(終わり)

こんにちは。今回で深谷さんの話はひとまず終わりです。

 

僕たちアイシン城山派遣のメンバーが中部事業部へ復帰になってから、アイシン派遣中に課せられたノルマの呪縛から解き放たれ、お互いに仲良くやっていた。

僕と深谷さんとは共通のオーディオの趣味もあり、自宅に招かれるなどして僕にきつく当たっていた頃とはまるで違ったつきあいをしていた。

一方、山口さんとは深谷さんよりも歳が離れていたが、ご自宅に飲みに行ったこともある。奥さんは英語塾の先生だ。優しい性格だったので僕も山口さんを慕っていたのだ。

 

何週間か経つと、僕の次の派遣先が決まった。蒲郡市にあるK工機だった。

家からは車で1時間くらいと、ちょっと遠いが仕方がない。他のメンバーよりも一足先に派遣先が決まったのだ。そして僕が女房と結婚したのもちょうどこの頃だ。

 

僕が深谷さんを見たのはこの中部事業部での一時期が最後となった。

その後、深谷さんがどうしていたのかはよく知らないが、人づてに聞いたところでは

「乗馬感覚を体験できる馬のシミュレータ」で特許を取ったとかいう話しだ。

 

それから何年か過ぎた頃、西尾市内に「いこいの農園」という植木センターがあるのだが、カミさんと二人で花を買いに行ったとき、僕は見なかったがカミさんは深谷さんが可愛らしい奥さんと一緒に買い物をしているところを見かけたそうだ。

いや、一緒に買い物というより、奥さんにつき合わされたといった感じに見えたそうだ。なんというか、そのめんどくさそうな顔をしていたんだそうだ。^ ^

 

へぇ~、結婚したんだ。

 

僕はあのイヤミでねちっこい深谷さんも奥さんには頭が上がらない様子であったことにちょっぴりほっとした。 なにより可愛い人と結婚できて良かったじゃないかと深谷さんの奥さんに感謝した。

 

 

それから随分してからのことだが、深谷さんが亡くなったと聞いた。 42歳、肺癌だったらしい。

そういえばたばこが好きで、いつも細かい咳をしていたなぁ。

「タバコを止めなよ」と何度も言ったが、そのたびに

「タバコで死ぬなら本望だよ」などと言って笑ってみせた。

本望だったんだろうか。

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もう、遠い昔のことだが、深谷さんのおかげで僕は設計の心構えを身につけることができた。今、生きていたならどんな話しができただろう。

 

ご冥福をお祈りします。