館長の気ままな日記

三河工芸ガラス美術館の館長(オーナー) " カズ " こと神谷一彦の勝手気ままな独り言です。

三河工芸の館長が書く日記です

グランドホテル山海館1 お悔やみ

こんにちは。

きょうから美術館は年末のお休みに入った。カミさんと一緒に愛知県知多半島先端の南知多町にあるグランドホテル山海館(やまみかん)に行く。

休暇? だといいんだが、そうではない。

先週山海館の会長から電話があり、大浴場洗面の鏡をアートミラーに換えて欲しいという依頼があったのだ。

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実は山海館さんとはかれこれ10年来のおつきあいになる。

初めのご縁は5階の客室と6階最上階客室の全てを大改造し、客室の中をカラー彫刻した鏡張りにする仕事だった。これは大手ゼネコンによる1年がかりの大プロジェクトだった。うちはこのカラー彫刻の鏡を請け負ったのだ。

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恥ずかしながら正直に言うと、ここの客室は製作元である三河工芸ガラス美術館よりも沢山のアートガラスが入っていて、それはもう、豪華そのものだ。

会長さんが大のアートガラス好きで3年ごとくらいに仕事をくださる。

 

実はここへ来る間中、会長になんとお悔やみを言っていいのか考えながらきたのだ。

会長の奥様、女将がこの秋口に亡くなられて、FAXで送られてきた訃報を見落としていたのだ。FAXを見つけたときは時すでに遅しで葬式は始まっていた。

慌てて弔電を送ったがその後改めて弔問に行くことはしていなかったからだ。

 

ホテルに着くと会長はロビーで待ってくれていた。いつもと変わらない人なつっこい笑顔で迎えてくださるが、心なし寂しげだ。

 

会長の話では、なんでもかかるのが何万人に一人という珍しい病気で、血管が溶ける難病だったらしい。

はじめにお悔やみを言うとしみじみと女将の思い出を話し始めた。

 

この写真は2006年のリニューアルオープンセレモニーの様子だ。僕も出席した。

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中央の女性が女将。右端が会長。

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22歳で会長と結婚し、二人でこの地(南知多)へ来て裸一貫で旅館業を始めた。何も知らない若い女将は必死でホテルを切り盛りしながら合間を見つけては着物の着付けや生け花など、女将としてのたしなみを身につけていったそうだ。

頑張って15年で銀行の借り入れを返済し、周りの旅館や民宿が衰退していく中で野菜を自家栽培するなどして経費を切りつめた。

女将、いや、奥さんは病床で夫である会長にしみじみこう言ったそうだ。

 

「あなたとホテルを始めてから無我夢中で働いてきたけど、辛いとか苦しいなんて一度も思ったこと無かったわ。 楽しかった~。」

 

これだけのホテルを切り盛りしてきて、辛いことや苦しいことが一度もなかったはずが無いではないか。

僕は自分の死期を悟った妻が、精一杯、夫を気遣った言葉では・・と思っている。

 

それでなくても会長は、

「(女房は) 何も文句や不平を言わなかったけどね、死なれてみると、(女房に)もっとあれもしてやりたかった、これもしてやれば良かったと思えてならないんだよ・・。」と口惜しそうに語った。

「男って女房に死なれるとダメだねぇ。いかに(自分が)女房に甘えていたかよく分かるよ。み~んな女房に任せっきりにしてきたからね。 神谷さんも奥さんを大事にしてあげてね。」

 

長年連れ添った奥さんに先立たれるとさすがに応えるらしい。気丈に話してくださるが涙をこらえるのがやっとにみえる。

 

打ち合わせを終えて食堂を見ると、今夜のディナーの食器がテーブルにずらっと並べられていた。月曜というのに満席である。

僕 「お客さんがいっぱいで商売繁盛ですね。」

会長 「おかげさんでね、忙しくてしょうがないんだよ。」

僕 「きっと女将が天国から応援してくれてるんでしょうね。」

と言った直後に僕は「まずかったかな?」と思った。

 

会長は無言で寂しそうに笑った。