館長の気ままな日記

三河工芸ガラス美術館の館長(オーナー) " カズ " こと神谷一彦の勝手気ままな独り言です。

三河工芸の館長が書く日記です

1971 マスタングマッハ1 夢が現実に6

こんにちは。

僕のマスタングを襲った二つ目の悲劇はやはり大隈勤務時代、岩倉市で起こった。

僕のアパートには駐車場が無く、200メートルほど離れた月極駐車場を借りていた。マスタングはそこに止めていたのだ。

f:id:mikawakougei:20160114022411j:plain (キザったらしくサングラスで気取っているのは当時の僕だ)

 

ある雨の夜、それは起こった。朝会社へ行こうと駐車場へ行ったとき我が目を疑った。

ドアミラーがない!

右も左もどちらのドアミラーもないのだ。運転席側、左のドアミラーはワイヤーリモコンが付いているのでネジを外しただけではミラーは外れない。

ワイヤーは力の限り引きちぎられていた。

 

当時は国産車はドアミラーは認められていなかった。だから外車に憧れるカーマニアはドアミラーが羨ましくて仕方なかったのだ。

カーショップにドアミラーは売られていたが車検はフェンダーミラーが付いていないと通らなかった。ドアミラーが日本の車検で認められるようになったのはずっと後のことだ。

それにマスタングのような砲弾型のかっこいいミラーはカーショップにも無かったのだ。

f:id:mikawakougei:20160114012447j:plain

きっと外車に憧れるカーマニアの仕業に違いない。自分の車に付けたかったのだろう。

されどリモコンのない右側は使えるとしても左はワイヤーがちぎれると鏡がブラブラになるのできっと使えなかったと思う。

 

今思い出しても忌々しいが、残念ながら東和さんでもこの型の交換ドアミラーは探せず、やむをえず違う年式のドアミラーを取り付けてもらった。

あ゛~っ、くやしい!!

だから僕には岩倉市にいいイメージが残っていない。

 

三つ目の悲劇はマフラーだった。これは自然劣化なので誰の責任でもないのだが、マフラーに腐食で穴が開き、パテでも補修できないほどボロボロ状態。このままでは車検が通らないので東和さんがどうする?と聞いてきたのだ。

新品を取り寄せると片側15万円、マスタングは左右に一本ずつあるのでトータルで30万円だ。 そんなお金、出せるわけ無い。

f:id:mikawakougei:20160114013713j:plain

 

僕はボロボロのマフラーとパイプを東和さんに外してもらい、その形を採寸、ガス管で作ろうと考えた。

直径6センチほどの鉄製ガス管を買ってきて角度を付けながら金ノコで切断、それを溶接屋さんに頼んで角かくに折れ曲がった排気管を作った。

 

東和さんはパイプを見て大笑いしながら「よくここまで角度を割り出したなぁ」といって感心した。このパイプでマスタングを修理したのだ。すんなり付いたとは思えないが、東和さんは何も言わずに取り付けてくれ、無事に車検を通してくれた。

車検場の検査官、このマフラーを見てきっとびっくりしたに違いない。ちなみに溶接代は6万円だった。

 

ところが次に起こった問題はラジエター、あちこち穴だらけで水漏れが酷く、もう使えないと言う。

次から次へと出てくる不具合、さすがに愛想が尽きたというか、手に負えなくなったというか、僕はこの車を手放す決断をした。

 

売るときは廃車扱い。わずか30万円だったと記憶している。

当時のアメ車はイカした車が多かったが、所有するにはそれなりのお金と覚悟が要った。サラリーマンに持てる車では無かったのだ。