こんにちは。
山海館の会長さんは僕たちが脱衣所ミラーの取付けをしているのを嬉しそうに脇で眺めていたが、ふと
「昔、旅館の改装を頼んだことがあって、その大工が現場でお客さんの前で夫婦喧嘩を始めたんだわ。あれは見苦しいなぁ。」
会長は唐突に語り始めた。
「へぇ、そんなことがあったんですか?」と、僕とカミさん。
「夫婦で作業に来とったんだがな、わしが見ている目の前で奥さんを怒鳴りつけて、挙げ句の果ては奥さんに道具を投げつけておったわ。ありゃあ見苦しいわ。」
続けて会長は、
「わしら男なんてみーんな女房に甘えておるんだわ。女房を亡くしてみるとよー分かるわ。 奥さんは大事にせにゃいかんよ。」
僕たち二人が力を合わせて作業している姿を見て、去年亡くなった奥さん、女将を思い出したのだろうか、しみじみ僕たちに語りかける。
「わしら夫婦仲は良かったよ。そりゃ、たまには夫婦げんかしたこともあるけどな、この旅館を始めた頃は夜11時過ぎまで一緒に皿洗いをしたもんだよ。 でも、辛いと思ったことなんか無かったなぁ・・。」
なんだかこっちまで切なくなってきた。カミさんと女将が重なって見える。
それからしばらくして「あとは頼むね。」と言い残し、会長は家に帰っていった。
あとは僕たち二人だけだ。脱衣所の取り付けが終わったのが午前2時半。
僕はカミさんを気遣って「もうそろそろ切り上げようか?」と言うと、「私だったら大丈夫だからやれるところまでやろうよ。」と言ってくれた。
次は男湯の洗い場から作業を始める。古い鏡を取り外し、新しい鏡に合わせたテンプレートを壁に当ててタイルの穴あけをする。下穴を明けておいて・・、
あとは水をかけながら一気に明ける。幸いなことに思ったよりタイルが柔らかい。磁器ではなく陶器タイルだ。硬いのは表面の薄皮だけだった。
金具を付けてミラーを取り付け、周りをシリコンコーキングする。このシリコン作業に手間がかかるのだ。
最後に養生フィルムを剥がして取り付け完了。
男湯の3枚を取り付けたところで午前6時。外はもう明るくなっていた。
夜勤でフロントに詰めていた番頭さんがやってきて
「三河さん、まだやってたんですか、頑張りますねー。 どうです?良かったら一風呂浴びていってください。」と優しい言葉をかけてくれた。
「いや、そろそろ帰ります。ありがとうございました。」
もうそろそろ帰らないと美術館の開館準備が出来ない。片づけをしていると気の早いお客さんがもう、お風呂に入りに来た。
残りは4月3日、今夜11時から出直すことにする。