こんにちは。
台風10号が不穏な動きをしている。外はしとしと雨。
しとしと雨は恵みの雨だが台風の直撃はやめてほしい。それこそ天に祈るばかりだ。
台風といえば真っ先に連想するのが「伊勢湾台風」である。
昭和34年のことだから僕は5歳。今でも鮮明に覚えているのが裏の土蔵へ避難するときに渡り廊下で僕が風で飛ばされたことだ。
大きな台風というのは動きが遅い。
伊勢湾台風の時は上陸の二日も前から風が強くなってきたと母から聞いた。
上陸の当日は早くから停電したので、家族みんなで家の中心である台所に集まり、ろうそくを灯して情報の無い中、次第に強まる暴風雨の音に怯えながら身を寄せ合って耐えていた。
今と違って気象レーダーもなければ、ましてや気象衛星など存在しない時代だ。
我が家は旧家で、平屋ではあったが70坪ほどもある大きな家だった。母屋のほかに横屋(座敷と呼んでいた)と裏には土蔵が二つあった。一つは家財を収納する蔵、もう一つは米蔵だった。
家族は祖父、祖母、両親、3つ離れた姉と僕の6人家族で、実質的な家督は祖父が担っていた。
僕の記憶には無いが、母によれば70坪もある母屋が小舟のように揺れたそうだ。
その時祖父が叫んだ。
「こりゃ、あかん! みんな、蔵へ避難するぞ!」
「みんな、わしの腰につかまって順番についてこい!」
祖父の腰に祖母がつかまり、その後に僕、姉、そして母と続いた。
蔵へ行くには廊下付きの書院を渡る。
その時、強風が吹いて雨戸が吹き飛び、僕の体も祖母からひき離され吹き飛ばされた。
「ねえさ(母のこと)、反対側の窓を開けらっせ!(開けなさいという意味)」
と祖父が叫んだ。 雨戸が飛ばされたため反対側の窓を開けないと、風が通り抜けずに屋根が飛ばされてしまうからである。
僕たちは土蔵に避難して、ろうそく1本の明かりを頼りに不安な一夜を過ごした。蔵には古いタンスや長持ちが置いてあって、僕たちはそれらに囲まれて時折聞こえる風の音に耳を澄ませた。
タンスの影が白壁に静かに映っていて、守られている気がした。
流石に蔵である。強風時に時折「ミシッ‥、ミシッ‥。」というだけで静かなものである。この時ほど蔵を頼もしく感じたことは無かった。
祖父がぽつりとこぼした。
「あかんなぁ、文治郎は。頼りにならんで。」
文治郎とは祖父のドラ息子、僕の父である。台風だというのに飲んだくれて正体をなくしている。