館長の気ままな日記

三河工芸ガラス美術館の館長(オーナー) " カズ " こと神谷一彦の勝手気ままな独り言です。

三河工芸の館長が書く日記です

列車人身事故

こんにちは。

 

きょうも名鉄線で人身事故があった。 今年は多い。

先週も岡崎で人身事故があった。女子高校生2年生だったそうだ。警察は事故と自殺の両面で調べているらしいが、恐らく自殺だろう。

今年は毎月のように人身事故がある。西尾駅から名古屋まで毎日名鉄電車で通勤している娘もしばしば足止めを食らい、怒り心頭で帰ってくる。初めのうちは亡くなった方への同情を口にしていたが、今では迷惑以外の何物でもないと憤慨している。

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列車による自殺は死に方の中でも最悪だ。

何より死にざまが凄惨だ。車輪に巻き込まれればバラバラの肉片になり、あたりは悪臭と血にまみれる。

そして全く無関係の何万という人に迷惑をかけ、時にその人たちのかけがえのない機会をも奪う。

さらに残された家族には巨額の賠償金が請求される。その賠償金が支払えずに家族は家まで差し押さえられたという話を聞く。

家族には本人の死の悲しみと賠償責任の二重の責め苦を与えることになる。

そう、死んでも誰にも同情してもらえない。

 

 

実は僕も名鉄電車で死にそうになったことがある。

昔、家から西に800メートルくらいの所に名鉄三河線が走っていた。2004年4月に廃線になった碧南-吉良吉田線である。

 

西尾市立平坂中学校へ行く手前に遮断機の無い踏切があった。

僕は母の背中に負われて灯りの無い夜道を自転車で走っていた。多分、僕が幼稚園児か、それ以前だったろう。

母は泣きながら踏切に向かっていたのである。自殺するつもりだったのだ。

父のこと、姑さんのことなどで母は毎日地獄のような苦しみを味わっていた。飲んだくれの父と嫁いびりの厳しい祖母の間で生きる希望を無くしていたのだ。

僕を道連れに踏み切りに飛び込もうと考えていた。

 

「かあちゃん、うちへ帰ろう?」

その時、背中の僕が母にそう言った。

 

母ははっと我に返り、自殺を思いとどまった。「可愛い我が子を道連れに死のうなんてなんてことを。この子の為にも生きなきゃ‥」と。

これは父と祖母が亡くなって僕が大人になってから母から聞いた話だ。おぼろげながらその光景は僕の脳裏に焼き付いている。

母の背中でスヤスヤ寝ていたら、今ここに僕はいなかったかもしれない。(笑)

 

世の中、辛いことは沢山ある。いや、楽しいことより辛いことの方が圧倒的に多いものだ。でも、歳食って後になってみりゃ、みんな懐かしい思い出だ。

 

自分の人生の最後に見る眺めが、自分の手足が引きちぎられる光景なんて、あの世へ行っても幸せになれない。

いま死にたいと思っているアナタ、今の辛さは死ぬまで続きはしないから。もうちょっと図太くなってみなさいよ?

 

歳食や嫌でもお迎え来るんだから。