館長の気ままな日記

三河工芸ガラス美術館の館長(オーナー) " カズ " こと神谷一彦の勝手気ままな独り言です。

三河工芸の館長が書く日記です

岩瀬先生

今週のお題「思い出の先生」

こんにちは。

僕にはずっと昔から手記に残しておきたい先生がいた。たまたま「今週のお題『思い出の先生』」という募集を目にしたので、この機会に手記に残しておこうと思う。

その先生の名は岩瀬先生。僕が中学1年の時の担任の先生で、多分死ぬまで尊敬し慕いつづける、命の恩人のような先生だ。

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僕は中学1年の頃、ひどいいじめに遭った。いじめは二つあり、一つは暴力によるいじめ。二つ目は嫌がらせによるいじめだった。

一つ目はふとしたことから学年の番長のようなガキ大将だったSとMに因縁を付けられ、廊下の外に引きずり出されて殴られた。彼らはすぐに人を殴ることで知られていたらしい。そんなこととは知らずつい軽口を言ったのが「なまいきだ」となったのだ。

げんこつで顔を殴られ頬が吊り上がってしまった。何発殴られたか覚えていない。

それはその日にとどまらず、翌日も、その翌日も呼び出されたのだ。

彼らは人を殴ることを楽しんでいて、こちらが反抗しないのをいいことに、どんどんエスカレートしていく。

 

僕はそれまで人を殴ったり殴られたりするのは見たこともやったこともなかったので、どうして良いか分からなかった。小学校でもとっくみあいはしたけど、顔を殴るなんてことは誰もしなかったのだ。

僕は毎日が怖くて、不登校気味になってしまった。

そんなある日、その日も終業後SとMに校舎の裏に呼び出され、いつものように僕を殴ろうとした。と、そのとき、僕はいつもと違ってとっさに身を避け、逃げたのだ。

彼らは僕を追ってこなかったが、「おぅっ!また明日やってやろうぜ。」と言うのが聞こえた。

「こんなことがこれから先ずっと続くなんて・・・」

意を決した僕は翌日、担任の岩瀬先生に全てを話した。

それまでは生徒たちの間で、先生に相談することを卑怯だという風潮があって、言わずに我慢し続けたのだ。

 

翌日、岩瀬先生は別のクラスだったSとMを呼び出し、僕の前で説教をしてくれた。

それ以来、彼らの暴力はなくなった。

彼らと仲の良い生徒から「神谷、ちくったな。卑怯者。」と悪たれ口を言われたが、とんでもない。 無抵抗の人間を二人がかりで殴り続ける方こそよほど卑怯だ。

 

ここで岩瀬先生のことを少し話すと、先生はエラの張ったがっしりとした体つきで、頭は天然パーマのかかったキノコのような髪型をしていた。その髪型から「ゲンバク」というあだ名で生徒に恐れられていたのだ。間違ったことの嫌いな厳しい先生だったので生徒には一目置かれていたのだ。

 

二つ目のいじめは陰湿な嫌がらせだった。僕にとってはこちらの方が辛く記憶に染みついている。

それはある日突然始まった。

前日まで仲良く遊んでいた友達が突然無視するようになったのだ。小学校からずっと一緒に遊んできた親友のH君までもが「お前嫌い。」と言って逃げていくのだ。

突然のことで何が起きたのか分からなかった。

後で聞いた話だと、終業後、僕以外の遊び仲間が校門でいつものように集まって遊んでいるうちに誰かが、「神谷っていつも自慢するよな。」と言い出したらしいのだ。

僕はそのころ友達にほめられたりすると、「そーれほどでもないけんね~。」とおどけて答えるのがスタイルだった。

それから後は欠点探しで、僕を「憎むべきやつ」に仕立て上げていったのだ。

いじめは、えてしてたわいないことから始まる。

 

いじめグループになった彼らは僕の持ち物にいたずらをしたり黒板に嫌がらせを書いたりした。そのうちクラス中の男子から無視されるようになった。

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そんな中でただ二人、僕と仲良くしてくれた友達がいた。犬塚君と杉浦君だ。

彼らがいたから僕はこのいじめに耐えられたと思う。半年も続いたいじめから。

 

犬塚君は正義感の強い子で、彼らのやり方はおかしいと、僕の味方に付いてくれたのだ。

犬塚君ら二人と遊んでいるときはいじめの辛さを忘れることが出来た。

 

そうこうしているうちにある日、その犬塚君の様子がおかしくなった。

僕のイヤなことを言ったり、睨みつけたりするのだ。

僕は怖くなり、どうしたんだと問いただした。

初めは何も言わない犬塚君だったが、僕がしつこく問いただすと、

「お前、俺の悪口を言ってたそうじゃないか。あんなに仲良くしてたのに!」

いじめグループの首謀者はウソを言って犬塚君を僕から引き離そうとしたのだ。

 

僕は頭に血が上るのを感じた。いじめグループは今までのやり方ではもの足らず、全ての友達を僕から奪おうとしたのだ。

さすがに我慢の糸が切れた。

 

僕は全てを岩瀬先生に話した。

 

時を同じくして、いじめグループだったT君が僕の所へやってきた。

「神谷君、ゴメンね。僕がバカだったよ。」と、言ってくれた。

T君がいじめの首謀者に、「もう、こんなことやめようよ。」と言ったところ、

「言うことが聞けないならお前も同じようにするぞ!」と言われたのだ。

 

先生はすぐに首謀者 OとKを呼び出し、懇々と言い聞かせた。そして僕と握手するように言ったのだ。OとKは渋々僕と握手した。

それ以来、いじめはぴたっとなくなった。

f:id:mikawakougei:20150912003148j:plain (卒業時の母校)

 

47年経った今だから平気な顔して言えるようになったが、若い頃は思い出すのもいやだった。

僕には首を吊る勇気など無かったので死ぬことは考えなかったが、だからこそ今の幸せな日々がある。

同じような悩みを持つ子供たちにとって、子供だけで解決するのは不可能だと思う。それは大人には計り知れない子供たちのルールがあるからだ。

悩みがあるならためらわず、大人に相談して欲しいと思う。

 

その後の岩瀬先生だが、平成15年に他界されたと聞いた。 いつかお礼に伺おうと思っていたのだが、延び延びにして取り返しのつかない失敗をしてしまった。

亡くなられてしまった今、何とか墓前にでも行って今の自分をご報告したいと思う。

 

岩瀬先生、あのときは助けて下さり、本当にありがとうございました。

このご恩は終生忘れません。