館長の気ままな日記

三河工芸ガラス美術館の館長(オーナー) " カズ " こと神谷一彦の勝手気ままな独り言です。

三河工芸の館長が書く日記です

逝った先輩たち (2) T営業所所長2

こんにちは。

僕が大隈鉄工所に初めて行ったときにはすでにグループリーダーを初めとする何人かの名古屋技術センター(以下、名技センターと呼ぶ)社員が出向していた。

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そのときのリーダー(当時名義センターでは技術職の管理職を係長や課長ではなく、グループリーダー、リーダーなどと格付けしていた。)は確か久田さんといって途中入社の柔和な人だった。そのほかに僕が公私ともお世話になるやまちゃんこと山崎さん、僕と犬猿の仲になる白石君などがいた。

そして僕とほぼ同時期に大隈に配属されてきたのが今回、タイトルの人、種やんこと種田さんだ。多分僕より5~6歳上で途中入社の技術者だ。

種やんは背が高く、すらっとしていて人なつっこい性格だが、ここへ(名技センター)へ来るまでは随分苦労をされたようだ。

 

そして程なく人事異動があり、種やんがグループリーダーとなる。

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ライバルの白石君は僕より一つ年下で、僕よりちょっと前にこの大隈に配属されていた。

僕が初めて配属されたとき、みんなに挨拶して回ったのだが、白石君に挨拶するときに何か質問したんだと思う。何を質問したのかはもう、覚えていないが、そのときの答えははっきり覚えている。

「とーろいこと言っとるな!〇X※△・・・」

いきなり先輩顔してため口を利いたのだ。

ずっとあとで、本人から聞いたのだが、白石君のほうが僕より年下ということで、あの時は自分が先に来ているのだからなめられないようにと思ってしまったそうだ。

 

人の出会いは最初が肝心だ。これがきっかけで僕と白石君は、僕が大隈を去るまで何かと反目しあう仲になってしまったのだ。

 

それからしばらくして僕たちは新工場のある大口町へ引っ越すこととなった。

僕たち名技センターの出向社員たちは総勢10人くらいになっていて、みんな仲は良かった。僕と白石君を除いて。

 

そんな僕たちの間に入って手を焼いていたのが先輩のやまちゃんだった。

やまちゃんは僕より4つ年上、ちょっと肥満気味の筋骨隆々。温厚な人柄でぽっちゃり顔だが、寝ぐせを気にしていたのか夜はナイトキャップをして寝るらしく、朝になると丸い顔に七三に分けたストレートの髪がまるでおにぎりの海苔のように貼り付いていて、ぱっと見サッカーボールみたいにまん丸だった。

 

僕は大隈が大口町へ引っ越ししてから、それまで住んでいた名古屋から岩倉市のアパートに移った。

やまちゃんの家は僕のアパートから会社寄りに車で5~6分の所にあって、よく交代交代の乗り合いで会社まで行った。

 

(※訂正 大隈に出向していた名技センター社員は他の部署も含めると20名以上はいたそうです。当時の大隈に詳しい方からご指摘を頂きました。ありがとうございました。)