館長の気ままな日記

三河工芸ガラス美術館の館長(オーナー) " カズ " こと神谷一彦の勝手気ままな独り言です。

三河工芸の館長が書く日記です

逝った先輩たち (6) Fリーダー1

こんにちは。

久しぶりに僕のメイテック時代の話をさせて頂こう。

大隈鉄工所に4年勤めた後、僕は西尾市の実家から車で20分ほどのアイシン精機城山工場 (現 アイシン・エー・アイ) に配属になった。

ここにはすでに名古屋技術センターの出向社員が4人いた。いずれも僕より年上で、ここのリーダーは深谷さんだった。他に山口さん、大西さん、伊藤さんがいて、僕たち設計者を統括するのが定年間近のアイシン社員で石川さんといった。

 

僕たちの職場は城山工場の生産技術課に所属する設計室で、設計者は僕たち名技センターの出向社員だけだった。

f:id:mikawakougei:20151104233006j:plain (イメージ)

 

アイシン精機城山工場は主にトヨタ自動車向けのマニュアルトランスミッションを製造していたが、僕たちはその部品を加工する機械や治工具、ゲージ(測定器械)などを設計するのだ。

f:id:mikawakougei:20151104234601j:plain (歯車の切削:ネットより)

f:id:mikawakougei:20151104233205j:plain (治具:ネットより)

 

実は、アイシン精機城山工場には僕の母方の叔父で4つ年上のKさん(現 アイシン・エー・アイ社長)がいた。

Kさんはこの時生産技術課の平社員。僕はここに来るとき、Kさんと一緒に楽しく仕事ができるものと期待していたのだ。

 

そう、この時まで、僕にとって地獄のような3年間が始まろうなんて夢にも思っていなかった。