館長の気ままな日記

三河工芸ガラス美術館の館長(オーナー) " カズ " こと神谷一彦の勝手気ままな独り言です。

三河工芸の館長が書く日記です

逝った先輩たち (20) Yさん3

こんにちは。

昨日に続きメイテック時代のY先輩の話をします。

山口さんにリーダーの役職を奪われた僕は次第に山口さんを疎ましく思うようになった。

僕はもともと負けん気の強い性格で、若い頃は特にそうだった。これは母親譲りだ。

それに深谷さんにアイシンでみっちりしごかれたこともあり、ゲージの設計ばかりをしてきた山口さんよりも機械設計の腕は僕の方が上だという思い上がりもあったのだ。

山口さんに表だって悪口(あっく)を言ったことはないが、彼の図面を批判的に見るようになる。

 

こういう気持ちは相手にも次第に伝わるものだ。山口さんも僕をライバル視するようになってくる。

 

K工機は8時30分始まりだったが、家からK工機まで車で1時間くらいかかるため、渋滞に巻き込まれて遅刻しないように30分くらい前には会社に着くようにしていた。

たいていメイテック社員の中では僕がいちばん早く着いていたのだが、ある日いつものように30分前に会社に着くと、山口さんの車がすでに駐車場にあった。

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設計室は2階だ。

タイムカードを押して設計室に入ると、山口さんは背中を向けて椅子に座り、タバコをくゆらせていた。

僕 「おはようございます・・。」

「おぅ、おまえさん、はえーなぁ。」と山口さんが首だけ横に向けて他人行儀にそう言った。

僕はなんだか負けたような気になった。

 

僕は次の日、いつもより10分早い40分前に会社に着いた。駐車場にはK工機の次長の車があるだけ。次長は「神谷さん、早いねぇ。」と目を細めた。

ところが次の日になると、また山口さんの車が先に来ていた。

僕はまた次の日、さらに10分早く出かける。

カミさんが、「どうしてこんなに早く出かけるの?」と聞いたが、「いろいろ調べものがあるんだよ。」と言ってはぐらかした。

 

こんなことを何回か繰り返すうちに、僕は6時頃に家を出るようになっていた。ついには次長よりも早く着いて門で待つようになってしまった。

 

終業時間についてもそうだった。9時過ぎまで残業するのは当たり前で、山口さんも僕が居るうちは帰らない。早出も競争、帰社時間も競争だった。

最終的には山口さんがこの競争から降りたが、今思い出してもばかげた競争をしたものだ。

おかげで休日出勤と残業を合わせて月140時間もあった。給料は手取りでも50万円以上になったがそんな仕事ぶりを何ヶ月か続けるうちに、僕はついに不整脈が出始めるようになってしまった。

 

さすがに心配したカミさんに諭されてこの競争は終わった。

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僕たちは当時新婚だったが、カミさんも保育士の仕事をしていたので、6時前に起きて僕の朝食の支度をするのは若いとはいえ、さぞ辛かったことだろう。

 

女房にはかわいそうなことをした。