館長の気ままな日記

三河工芸ガラス美術館の館長(オーナー) " カズ " こと神谷一彦の勝手気ままな独り言です。

三河工芸の館長が書く日記です

フォード 日本撤退

こんにちは。

きょうの新聞朝刊やヤフーニュースに「米フォードが年内日本撤退」というショッキングな記事があった。

 

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「収益改善への合理的な道筋」が見えないことが理由だとある。

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そういえば近年、街中でも高速道でもアメ車を見る機会はほとんどない。見るのはたいていベンツかBMWアウディフォルクスワーゲンといった車たちでほとんどが欧州車。

 

僕たち青春時代には憧れの的であったアメリカ車。富の象徴のようなアメリカ車は「外車と言えばアメ車」という時代だった。

アメリカ映画の中ではマスタングトランザムコルベットといったスポーツカーがカーチェイスを繰り広げた。図体のでかいアメ車はカーチェイスをすれば迫力がある。僕ら若者の目はスクリーンに釘付けとなり、いつかはアメ車に・・と思ったものだ。

 

そのころの日本車と言えば、センチュリーやプレジデントといった特別な車を除けば最高車種のクラウンやセドリックでも車幅は1700ミリ程度の小さなボディーだったのだ。排気量も最高で2600cc、非力な小型車が多かった。それに比べアメ車は cc ではなく排気量をリッターで呼んでいた。5.7リッターや7リッターといった大排気量はアクセルを踏めば簡単にホイールスピンをする迫力満点の車たちだったのだ。

 

それが73年に始まった排ガス規制、さらに73年と79年の二度にわたるオイルショックで燃費の悪いアメ車は敬遠されるようになった。

一方、小型で燃費の良い日本車がアメリカで売れ出し、貿易摩擦を生んだ。

 

74年以降マスタングをはじめとするアメ車も大幅なダウンサイジングに走る。よく売れる日本車や欧州車の真似をし始めたアメ車は個性を失い、アメ車の持ち味であった大陸的なおおらかさを失っていったのだ。

 

先日、ヤフオクで71年式と73年式のマスタングマッハ1がペアで出品されていた。

どちらもスクラップ同然のボロ車で、部品取り車、或はレストアベース車としての出品だ。価格は2台で98万円。こんな価格では誰も入札しないだろう、と思っていたら、しばらくして100万円で落札されていた。

 

古き良き時代のアメ車を愛する人は、まだ沢山いるということだろう。

時代が逆行することはあってはならないが、アメリカらしいステキな個性を持った車が開発され、再び日本の道路を走り回る姿を見たいものだ。

 

フォードよ、また帰ってきてね。