館長の気ままな日記

三河工芸ガラス美術館の館長(オーナー) " カズ " こと神谷一彦の勝手気ままな独り言です。

三河工芸の館長が書く日記です

台風の思い出 2

こんにちは。

 

人間(日本人) というのは不思議だ。危ない状況に遭遇するとつい、

「なまんだぶ、なまんだぶ、なまんだぶ・・・。」お念仏が出る。蔵の中で手を合わせて僕と姉がお念仏を唱える。

 

台風は夜半からますます強さを増してきた。今と違ってテレビやスマホなどによる台風情報が全くない。そのことが一層不安を増長させるのだ。

そうしているうちに、突然外が静かになった。

どうしたんだろう。台風は行っちゃったのか?

 

僕は母に頼んで重い蔵の扉を開けてもらった。

外に出ると風はピタッと止み、空には星が出ていた。

 

「台風の目に入ったな。じきに吹き返しが来るぞ。」と祖父が言った。

祖父が言った通り、しばらくすると吹き返しの風が吹き始めた。そして風向きも変わった。

僕が再び蔵に入ったとき、蔵には布団があって、祖父たちはもう寝ていた。

母が、「もう大丈夫だから寝な。」と言った。

僕は蔵に安心したのか、いつもと違う夜にちょっぴり楽しさを感じていた。

 

朝、目が覚めると台風一過の青空が広がっていた。

母屋は無事だったが僕らが寝た蔵と棟続きの穀蔵は倒壊していた。これは祖父が撮った実際の写真だ。左にある家が母屋だ。

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一夜明けて被害の甚大さが明らかになってきた。

母に聞いた話だが、うちには新田(矢作川の河口近く、川の東側の地名)に田んぼがあったが、その辺りは一面水浸し。高潮で矢作川が氾濫したのだ。新田は川よりも低く、あたりには死んだ牛やら豚やらが何頭も浮いていたそうだ。それでもお米の収穫をしなければならず、母たちは木船を借りて水面下の稲を刈ったと聞いている。

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僕も台風の後、しばらく他人の名前の書かれたパンツやシャツを着たのを覚えている。

子供心に不思議に思ったものだが、あとでこれが救援物資というものだと知った。