館長の気ままな日記

三河工芸ガラス美術館の館長(オーナー) " カズ " こと神谷一彦の勝手気ままな独り言です。

三河工芸の館長が書く日記です

またまた台風

こんにちは。

 

今年はどうやら台風のバーゲンセールである。8月の後半にさしかかったばかりなのにもう20号だ。

 

幸い台風の愛知県直撃はまだ無いが、先月の逆進路の12号は相当強い風だった。

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アパートやマンション住まいの人は外出さえしなければ特に心配事は無いと思うが、うちはいくつも心配事がある。

まず庭木だ。松や槙の枝が折れたりしないか、場合によっては枝を補強しなければならない。

続いて門扉。強風で飛ばされないように毎回補強している。

駐車場のコーンも撤去しておかないと強風でどこかへ飛んで行ってしまう。

 

そして一番心配なのが大雨による美術館浸水だ。

隣りの田んぼが雨の受け皿になってくれるのでこれまで浸水したことは無かったが、年々降水量が増えていく昨今、いつか浸水するのではと心配している。

 

その意味でも田んぼは残しておきたいのだ。

 

第三回役員会2018 秋祭り

こんにちは。

 

わずか一日で一気に涼しくなった。一昨日までの猛暑がウソのようである。

歓迎すべきことなのだが、嫌いな夏とはいえ、これで終わりかと思うとちょっぴり寂しくもある。

 

きょうは第三回町内役員会があった。正副町内会長と班長が対象だ。

議題は秋祭りと自主防災訓練の話。

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富山町の秋祭りはこの辺りでは一番早い9月に行われる。母に聞いた話では富山町は倹約のため他がお祭りシーズンになって魚介類が値上がりする前に済ませてしまおうと昔の役員さんが決めたらしい。

今年は9月の22日23日だ。

 

僕が子供の頃は戸数はわずかに70戸ほどの小さな村だったが、それでも富山神明社の境内には露店が4~5軒は出て、おもちゃや綿菓子を買ってもらった記憶がある。

おばさんが店主の露店が出ていておもちゃを触ろうとすると「さわっちゃいかん!」と子供に叱る怖い店もあった。

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社務所の前にスクリーンが張られ、映画を上映したこともあった。翌日にはちぎれた映画のフィルムが落ちていて、拾って持ち帰った思い出がある。石原裕次郎か誰かの映画だったと思うが子供の僕には難しくて分からなかった。

 

その富山町も今では400戸を超え大所帯になったが、露店は富山クラブという町内の若者たちが行い、無料でふるまわれる。

ビンゴゲームも行われて境内は大いに賑わうのだ。

お祭りは子供たちの記憶に深く刻まれる。

この祭りが末永く続きますように。

 

若い世代に期待したい。

フォトジェニック

こんにちは。

 

今年に入って雑誌やインターネットサイトの取材依頼が多い。

キーワードは「フォトジェニック」だ。

フォトジェニックとは「写真に向いた」とか「写真写りの良い」という意味の英語で、今風に言えば「インスタ映えする」ということになる。

 

当館も今年、写真撮影をスマホ、小型カメラに限って解禁してからというもの、明らかに客層が変わった。

 

本来、ミュージアム側としては写真撮影はしてほしくない。理由は大きく二つ。

一つ目は著作権侵害の問題だ。これまでに何度か作品の構造、アイデアをパクられたことがある。撮影を禁止したからと言って防げるものでもないのだが‥。

 

二つ目はアート作品は心血を注いだ商材だからだ。見せることで収入を得、パンフレットや写真集の販売で収益を上げるためだ。(うちにはその手の商材はないが)

 

しかし、いくら禁止と言っても隠れて写真撮影をするお客様が後を絶たなかった。ならばいっそのこと・・と、解禁に踏みきったわけだ。

 

この決断は良かったと思う。 世の中は確実に変わっていたのだ。

 

お客様は作品の写真を撮りに来るのではないのだ。きれいな背景の中にいる自分を撮りに来るのだ。

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館内では若い女性たちの歓声が絶えない。帰り際には本当に嬉しそうなお顔で出て行かれる。

 

これはアートの作家冥利に尽きる。

 

アートは人をキレイにする。僕はそのお手伝いをするだけだ。

1971 マスタングマッハ1 左クォーターパネル下塗り塗装

こんにちは。

 

左クォーターパネルの取付け準備が出来てきたので内側の塗装をする。オリジナルでは塗装されていない面だ。

レプロに元々されている黒塗装をサンダーで全て剥がす。レプロの錆止め塗装を僕は信用していない。以前黒塗装を剥がしたら錆面が現れたことがあったからだ。

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生鉄板に密着の良いエポキシ系プラサフ「パワー防錆プラサフ」を厚めに塗る。

4回ほど吹き付けた。溶接面は塗装がかからないようマスキングする。後でスポットジンクを吹くためだ。

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塗装をしっかり硬化させるために遠赤ヒーターで加熱する。

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このあとさらに上塗り塗装する。

いいこと思いついた! スフィアプラスα

こんにちは。

 

お盆の間、美術館は大変な盛況で毎日が200人越え。多い日は300人を超えた。雑誌やSNSで巨大万華鏡スフィアをはじめとする当館の魅力が広く知られたからだろう。

来館いただいたお客様、本当に有難うございました。

 

この人気が手をこまねいていて、いつまでも続くとは思っていない。だから常に魅力的なものを作っていこうと考えている。

そんなことを話しあっている中、カミさんがある提案をした。

「スフィアに〇〇を付けてみたらどう?素敵ななシーンにならないかしら?」と。

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それは比較的容易に追加できるものだった。今は詳細は言えないが、きっと楽しいシーンになるはずだ。インスタ映えすること間違いなしだ。

なんとか秋ごろをめどに設置を検討してみよう。

 

カミさんは何気なくいいアイデアを出す。作るのはいつも僕だけど、女性目線の楽しいアイデアはたいてい当たる。

 

 

僕たちもお盆明けの明日17日を一日だけ「お盆休み」を頂きます。ですから明日は休館日です。よろしくご了承ください。

零戦参上! エンジンとコクピット

こんにちは。

 

アシェットコレクションズの零戦。当初は2週間おきに月2回、4週分を送ってきていたが、ここ数か月は月に一度だけ、4週分を送ってくるようになった。

毎週のパーツは少なくなり、ちょっと物足りない感じもする。そう思って数か月、手付かずにして貯めていたらいつの間にか4か月分(16週分)も貯めてしまった。

 

初めの3か月分はエンジン組み立てばかりでちょっと飽きていたのだ。

これではいけないと思い、ここ数日集中して組み立てている。

 

エンジンは非常に緻密な造りで凄い。日本製の高級プラモデルでもここまでののは無いだろう。それでも穴と軸のはめ合がきつくて入らなかったり、ピッチの誤差でうまく組めなかったりするところがあった。手加工で修正しながら組んでいく。

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僕は毎日細かなジオラマパーツを作っていて細かな作業は得意なのだが、それでもこのエンジン組み立てには手こずった。エギゾーストマニホルド(排気管)の取付けなど、どうすればいいの?と思うくらい難しいものだった。

それでも完成すればマニアをもうならせる精巧なものだ。

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エンジンカバーを付けてみる。

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こんな感じだ。プロペラを付ければさらにムード満点。

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きょうは一気に2か月分、コクピットの組み立てを行った。

2か月分でこれだけだが、忙しい人にはちょうどいい。おっくうにならずに配分されているのかもしれない。

組立説明書にはそれぞれの部品の名称が記されているが、このモデルを作り始めて初めて知るゼロ戦の作り。車の運転席とは比較にならない複雑な計器にレバー類。

これを操作するパイロットは本当にすごいと思う。

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零戦パイロットといえば以前にもこのコーナーで書いたが、我が家の親戚に凄腕のパイロットがいた。

安城市和泉町出身の沓名達夫さんだ。達夫さんはテレビの再現ドラマ「鶴瓶のニッポン武勇伝 我が家のスゴイ人GP」で「特攻隊 言わずに死ねるか」の中に登場する凄腕の上官、沓名達夫その人である。

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達夫さんの実家は現在建て替え中。弟さんご夫婦が2年ほど前に亡くなられて現在は娘さん夫婦が後を継いでいる。

実家には達夫さんからの手紙が多数保管され、写真もたくさん残っているという。

が、写真や手紙は時が経ち、代が変わることで薄れ、消滅していくと思った僕はインターネットという無限で永遠の世界に、お国のために散った沓名達夫さんの記憶をとどめておきたいと思ったのだ。

 

近くここでご紹介できるだろう。

火の玉の話

こんにちは。

 

今では火の玉の話など、とんと聞かなくなった。

僕が小学校低学年のころまではお盆になれば親戚が集まり、男衆が酒を飲みながら世間話にふけった。

その中で幽霊や火の玉の話もたびたび話題に上った。

 

親戚の大人たちがタバコをくゆらせながら幽霊を見たという噂話を真顔でする。

僕も興味津々で盗み聞きしていたが、その内容は驚くべきものだった。

 

ちゃらんこ(地名らしい)の一本松の話

「俺が聞いた話なんだがよ、ちゃらんこに一本松のある墓地があってな、土建屋が移転のためにお祓いもせんと墓石を撤去したんだと。そうしたら一本松の下に白い女の幽霊が出るようになったんだとよ。」

「あぁ、俺もその話は聞いたことがあるぞ。お寺さん呼んでご祈祷したら出んようになったそうだな。」

「怖いわねぇ。お墓は粗末にしたらあかんねぇ。」

 

昔の墓地は今のように明かりがあって整備されたものではなく、古い墓石が立ち並び、草木が生い茂る不気味なところだったのだ。

 

 

火の玉の話

火の玉を見たという話は少なくない。これは母の在所に泊まった時の話。

「火の玉は本当にあるらしいぞ。〇〇さんちに火の玉が落ちたんだと。なんでも寝とったら突然屋根を突き破って蚊帳の外に落ちてきたんだとよ。見ると青い火で、寒天みたいにぶよぶよしとったそうだ。」

「私も見たことがあるよ。青い火の玉が東の方へ飛んでったんだわ。」

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子供の頃は家の周りは田んぼばっかりで夜ともなれば辺りは真っ暗。道路はアスファルト舗装などされておらず、街灯もなかった。

村の墓地は我が家から南西に400メートルほどの所にあり、遮るものが無いので昼間は見通せた。

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僕を含む近所の遊び仲間が何人かいて、盆ともなれば幽霊や火の玉の話になる。

隣りの悪ガキH君が話を持ち掛けてきた。

「みんな、お墓の蓋を昼間のうちに開けておいて火の玉が出るかどうか試してみようぜ。今夜あたり降りそうだし、出るかもよ。うちの2階から見るんだ。」

H君の家は近所では珍しい2階建てだった。

 

何かで読んだのか、子供たちは火の玉は人間の骨から出る燐が水分と反応して燃えて出来ると思っていたのだ。

現代の火葬はバーナーで完全焼却するので骨の燐など残らないだろうが、昔は土葬、あるいは藁や薪で火葬したので不完全な焼却だと燐が焼け残ることも多かったのかもしれない。

 

果たして計画は実行されたのか。

僕は寝てしまって知らない。