館長の気ままな日記

三河工芸ガラス美術館の館長(オーナー) " カズ " こと神谷一彦の勝手気ままな独り言です。

三河工芸の館長が書く日記です

逝った先輩たち (7) Fリーダー2

こんにちは。

僕は大隈で4年間機械の図面を描いてきて、それなりに知識も得たし、そこそこ自信も持てるようにはなっていた。

ただ、この城山工場の空気は大隈とはかなり違っていた。

トヨタ系列、カイゼントヨタ生産方式といった言葉から想像できるかもしれないが、ここでは生産効率が重視される。

ここでは設計者の能力を、描いた図面の枚数で測るのだ。

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僕たち設計者は機械を設計するとき、アイデアを形にしながらまず、機械の組み立て図を描く。よし、これでいけるという組み立て図が完成すると、次に組み立て図を元に部品図を起こしていく。

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全ての組み立て図、部品図、部品表ができてそのプロジェクトは完了となるのだが、アイシンの管理者はその設計者が何時間かかってA4何枚分の図面を描いたかで仕事量を評価するのだ。たとえばA3の図面を2枚描いたらA4図面4枚分となる。

 

もちろん、設計者の能力はアイデアや機械の複雑さなど、図面の枚数では測れない部分がある、いや、むしろそちらの方がウェイトとしては大きいと思うのだが、能力を客観的に測る一つの指標として枚数/時間が用いられていて、ひと月ごとに集計された。

つまり、多く描けた月は何も言われないが、少ない月は、

「神谷君、今月は少なかったね、どうしたの。」と、なる。

 

これは僕たち設計者にとって、かなり息苦しいことだった。

それに比べると大隈はもっと開放的だった。もちろん忙しいときなどは残業もずいぶんしたし、休日出勤なんてしょっちゅうだったが、技術者を締め付けたり責められるようなことは一度もなかった。

 

その頃の城山工場は、アイシン城山の社員の間で「地獄の城山」と異名を取っていた。

工場や設備を新たに立ち上げるため、社員が不眠不休で働き、身体を壊す人が続出していたらしい。そんな仕事ぶりを社員たちが揶揄して名付けたのだ。

仕事は確かに忙しかったし、難しいことだらけだった。

だけど、僕にとって地獄のようなと思わせるのは・・・、

実はそんなことではなかった。