こんにちは。
僕は大隈で4年間機械の図面を描いてきて、それなりに知識も得たし、そこそこ自信も持てるようにはなっていた。
ただ、この城山工場の空気は大隈とはかなり違っていた。
トヨタ系列、カイゼン、トヨタ生産方式といった言葉から想像できるかもしれないが、ここでは生産効率が重視される。
ここでは設計者の能力を、描いた図面の枚数で測るのだ。
(イメージ)
僕たち設計者は機械を設計するとき、アイデアを形にしながらまず、機械の組み立て図を描く。よし、これでいけるという組み立て図が完成すると、次に組み立て図を元に部品図を起こしていく。
(イメージ)
全ての組み立て図、部品図、部品表ができてそのプロジェクトは完了となるのだが、アイシンの管理者はその設計者が何時間かかってA4何枚分の図面を描いたかで仕事量を評価するのだ。たとえばA3の図面を2枚描いたらA4図面4枚分となる。
もちろん、設計者の能力はアイデアや機械の複雑さなど、図面の枚数では測れない部分がある、いや、むしろそちらの方がウェイトとしては大きいと思うのだが、能力を客観的に測る一つの指標として枚数/時間が用いられていて、ひと月ごとに集計された。
つまり、多く描けた月は何も言われないが、少ない月は、
「神谷君、今月は少なかったね、どうしたの。」と、なる。
これは僕たち設計者にとって、かなり息苦しいことだった。
それに比べると大隈はもっと開放的だった。もちろん忙しいときなどは残業もずいぶんしたし、休日出勤なんてしょっちゅうだったが、技術者を締め付けたり責められるようなことは一度もなかった。
その頃の城山工場は、アイシン城山の社員の間で「地獄の城山」と異名を取っていた。
工場や設備を新たに立ち上げるため、社員が不眠不休で働き、身体を壊す人が続出していたらしい。そんな仕事ぶりを社員たちが揶揄して名付けたのだ。
仕事は確かに忙しかったし、難しいことだらけだった。
だけど、僕にとって地獄のようなと思わせるのは・・・、
実はそんなことではなかった。