館長の気ままな日記

三河工芸ガラス美術館の館長(オーナー) " カズ " こと神谷一彦の勝手気ままな独り言です。

三河工芸の館長が書く日記です

逝った先輩たち (8) Fリーダー3

こんにちは。

僕たち設計室の技術者は僕を含め5人。全員が名技センターの出向社員で、僕が一番年下、当時28歳。

リーダーの深谷さんと伊藤さんが1つ年上で29歳。山口さんと大西さんの年齢は聞いたことがなかったが、多分3~4歳年上だ。

大西さんと山口さんは既婚者で二人とも子供がいた。僕と深谷リーダー、伊藤さんは独身だ。

 

設計室の仕事の流れは、アイシン生産技術課の担当者から設計の依頼が入ると、設計の統括管理者である石川さんのところに集まる。 石川さんはリーダーの深谷さんと相談しながら、仕事の難易度や設計者の手持ちの作業状況を見て、誰が適任かを決めていた。

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当時生産技術課には課長以下40名ぐらいがいて、課は工場建物の2階にあった。僕たち設計室は1階の製造ライン隣にある技術員室をパーテーションで分けてもらって仕事をしていた。

だから設計室にはいつも機械の音とラインで流される音楽が大きな音で聞こえてきていた。

 

話がちょっと逸れたが、設計の業務は生産技術課の依頼者と設計の担当者で打ち合わせ、そこにリーダーの深谷さん、時には石川さんも立ち会うという構図だった。

つまり、ほとんどの設計業務に深谷さんが立ち会うのだ。そして出来上がった図面は全て深谷さんが検図することになっていた。深谷さんは自分の仕事の他に4人の設計者の図面もチェックしていたのだ。

それだけ深谷さんはアイシンに信頼されていたということでもある。

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だけど、ちょっと想像してみて欲しい。設計室の構図を。

深谷さんをリーダーに年上の二人の技術者、同い年の技術者、そして一つ年下の僕。

ただでさえ一匹狼の意識の強い技術者集団に年下のリーダーを置くという年齢のねじれが何を引き起こすか・・。