館長の気ままな日記

三河工芸ガラス美術館の館長(オーナー) " カズ " こと神谷一彦の勝手気ままな独り言です。

三河工芸の館長が書く日記です

1971 マスタングマッハ1 夢が現実に1

こんにちは。

1971年型フォードムスタングマッハ1、当時はムスタングと呼んでいた。

名古屋の近鉄モータースショールームで一目見てから、僕の生涯で最も愛する車となった。

マスタングは学生である僕に買えるはずなどない車で、夢のまた夢であった。当時の外車は会社の社長か有名人、それでなければやーさんくらいしか買える車ではなかったからだ。

そんな折、トヨタからマッハ1に似たセリカリフトバックという車が発売された。これだって僕には高すぎる車であったが、母に拝み倒して代金を立て替えてもらった。

初めて買った自分の車がセリカLB1600STだった。

カッコはムスタングに似ていたが非力でじきにもの足らなくなった。2年ほど乗ってセリカLBの最高峰2000GTに買い換えた。当時のお金で115万円くらいで買えたと思う。

僕はかっこいいLBに乗れて有頂天だった。

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時は流れて大学の4年の頃、中古車市場に200万円前後でムスタングのマッハ1が登場するようになった。

まだまだ高嶺の花ではあるけれどもムリすれば何とか手の届くところまで来ていた。

ところが大半はアメリカから並行輸入されたボロボロの中古車を業者がちょっと手を入れて車検を通した程度の粗悪な車がほとんどだった。

僕はそのころ毎日中古車雑誌を見ては買えそうなマスタングを探していた。マスタングに乗る夢を捨てきれずにいたのだ。

そんな折り、雑誌で大阪の中古車店で1973年型のマッハ1を見つけた。ディーラー車だった。

ディーラー車とは、近鉄モータースのような正規代理店が輸入した日本向けのマスタングだ。当然フル装備。平行輸入車はパワーウインドウやエアコンが付いていないことが多く、手回しのウインドウだったりクーラーは日本で取り付けた助手席取り付けタイプだったりした。

僕は大阪のマスタングを買うことを前提に大事に乗っていたLB2000GTを売ることにした。

下の写真は買い取り店で最後に撮ったセリカの写真だ。確か東京の環八のどこかだ。

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僕はセリカを売った代金、60~70万円だったと思うがそれをもって大阪、豊中市へ向かった。

 

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