館長の気ままな日記

三河工芸ガラス美術館の館長(オーナー) " カズ " こと神谷一彦の勝手気ままな独り言です。

三河工芸の館長が書く日記です

名城大生に思うこと

こんにちは。

 

今月10日、名城大学准教授が学生にはさみで刺されたという衝撃的なニュースが流れた。

レポートを提出しなくても単位をくれと頼んだところ断られたのが動機だそうだ。

あまりにも動機が稚拙だ。

はさみを買って刺す計画を立てる暇があるならさっさとレポートを書けばいいものを。

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彼はこれで卒業を逃すどころでは済まない取り返しのつかないものを失ってしまった。

 

 

単位といえば僕にも苦い思い出がある。

1年の時の必須科目、「体育」の単位を落としたのをずっと4年生まで取れずにいたのだ。原因はバイト疲れで朝が起きれず、朝一の体育の授業に出席できなかったのだ。

卒業を心配したゼミの先生が、「神谷、体育の先生は出席さえすれば単位はくれると言っているよ。」と忠告してくれたのを受けて、ずるずる先延ばしにしていた僕は眠い目をこすりながら体育授業に出席して辛くも卒業したのだ。

 

もう一つ思い出がある。

O君という同級生がいて、卒業の単位が足らずに追試を受けていた。僕ら勉強しない劣等生は、それでも慈悲深い教授の複数回に及ぶ追試で救済の手を差し伸べられていた。

僕は辛くも追試で単位をもらえたが、O君は最後通告の追試をも落としてしまった。

 

留年を知ったO君は大学の門の縁石に座り込んで頭を抱えてしまった。就職先の内定が決まっていたのだ。

僕たちゼミ仲間はかける言葉がなかった。

 

それから数日した早朝、O君が死んだという訃報が入った。

友達と急いで彼の自宅に駆け付けると、彼は白いハンカチを顔にかけられて静かに横たわっていた。

自殺を疑ったが死因は窒息。

お母さんによると夜中に嘔吐したらしく、吐いたものが喉に詰まったのだ。

彼は大のコーヒー通でコーヒーを日に何杯も飲んだ。留年の心労で胃が荒れていたのかもしれない。

 

僕たち仲間はそのことを単位をもらえなかった先生に報告した。

先生は「俺のせいだ。」と唇をかんだが、僕たち仲間はかぶりを横に振った。

 

僕たちは先生に、亡くなったO君のために卒業証書だけでも与えてくれないかと頼んだ。

 

数日して先生から回答があった。

卒業証書は与えられないというのだ。先生は「君たちの気持ちはよくわかる。だけど形だけの卒業証書をもらってO君は喜ぶだろうか?」

僕たちは返す言葉がなかった。

卒業というのはそれほど重いものなのだ。自分の努力でつかむしかない。

交渉や駆け引きで手に入れるものではないのだ。